美人募集と明示しない理由は何か

30代女性の結婚には妥協が必要か?を再編集していたら、はてな?ではあいかわらず鋭い質問が飛んでいるようです。

会社の採用などで美人募集と明示しない理由はなんですか。就職の時に、美人が有利であるという回答が多かったのですが、(先の質問 http://www.hatena.ne.jp/1127224737 )、実際に有利なのであれば、あらかじめ明示するのがわかりやすく公正だと思うのですが。一般企業では、美人募集とか、美人の方が処遇面で有利とか、どの程度なら良いとか、そのあたりのポリシーを明示しない理由は?

質問者の論点は、「美人募集」の是非ではなく、「表向きは美人には興味が無いようなそぶりでいながら、実態的には美人を優遇している社会の現状」それこそが不公正ではないのかというそのあたりのようです。おそらく正論でしょう。しかしこの問題は、就職に限ったことではないですね。

本来の公正とは、名目と実態が一致していることではないでしょうか。美人を積極的に雇用したら、どうして不公正なのかがよく理解できないでいます。表向きは、容姿は問題にしないといいながら、実際には美人が優遇されていることの方が、よほど不公正な気もします。もしも、美人が多いことで周囲の社員のやる気が倍増し、売り上げにも貢献するとしたら、明示しても良いものなのでしょうか。

後半部分については、若手の男性社員からは、よくききますね。「若くて可愛い子がいてくれると仕事もはかどります」そんな意見。人事の山崎なんかの場合には、実際、社員の士気の向上(=会社の利益)のため、美人を優先して登用しているといってますし、若い女性社員を回転させるために正社員はとらずに、派遣社員にしている会社の取締役も何人かゴルフ仲間にいるくらいです。

美人の方が有利ってことありますか。

さきほど質問リストを確認したら、またまたすごい質問が提出されていました。

美人・不美人の度合いは、人格の一部と考えた方が良いのでしょうか。人格の一部であれば、企業の採用条件として明示すべきでないことは理解できます。しかし美人・不美人の度合いを、人格の一部だとした場合、不美人の人は人格に問題がある、あるいは人格的に劣るということにつながりませんか。

hitzooさんってやはり有名人か専門家の人なのかな?
美人・不美人の度合いを人格の一部として組み入れることにより、企業の採用条件などから外させることは可能でも、そうすると、今度は不美人は人格的に劣ることになってしまうのではというご指摘。この問題は意外に奥が深そうなのですが。


今日は、桜子と約束があるので、中座します。